高齢者の認知機能に重要な「作業記憶」を改善するARゲームが開発されている

高齢者の認知機能に重要な「作業記憶」を改善するARゲームが開発されている

最終更新日 2022.11.24

以前の記事「認知症を検査する新しい「作業記憶テスト」システムとは」にて、認知症における作業記憶の基本事項とともに、スマートフォンアプリなどを使用して作業記憶をテストする研究を取り上げました。
本記事は引き続き作業記憶をテーマに、「作業記憶を改善するゲーム」の研究をご紹介します。

認知症と作業記憶についてのおさらい

認知症の初期段階では、作業記憶と呼ばれる能力が低下することがあります。
作業記憶とは、作業や動作に必要な情報を短期的に記憶して処理する能力のことです。作業記憶は脳の前頭連合野と呼ばれる部分で扱われており、実際に脳を損傷した人の作業記憶のテスト結果が悪かった例も記録されています(中部学院大学、三上研究室のHPより)。ただし外傷ではなく、多くの場合は加齢などの影響で脳が変化し、作業記憶の能力が低下します。
認知症は早期発見が重要であり、作業記憶のテストにより脳の状態を観察することは予防に役立つと言われています。

作業記憶のテスト方法はいくつかあります。先日の記事「認知症を検査する新しい「作業記憶テスト」システムとは」では例としてCBTT、AWMA、HURoWを挙げました。
作業記憶テストには他にも下記の種類があります。

  • TMT(Trail Making Test)
  • WMS(Wechsler Memory Scale)
  • CPT(Cognitive Processing Test)
  • TOMM(Test of Memory Malingering)
  • VOT(Visual Organization Task)
  • TOVA(Test of Variables of Attention)

なおテスト方法の一つであるCBTTに関しては、ブロック型デバイスとスマートフォンアプリを用いて効率的に行う方法が研究されています。

▶︎認知症を検査する新しい「作業記憶テスト」システムとは

AR(拡張現実)ゲームによる作業記憶の改善

作業記憶に関する研究は、数多く行われています。以下では、韓国の研究グループによる新しい研究をご紹介します。
研究グループは、AR(拡張現実)技術を応用したスマートフォンゲームによって高齢者の作業記憶に関わる認知機能を改善する研究を行っています。

参照する科学論文の情報
著者:Kyungjin Han, Kiho Park, Kee-Hong Choi, and Jongweon Lee
機関(国):世宗大学校(韓国)、高麗大学校(韓国)
タイトル:Mobile Augmented Reality Serious Game for Improving Old Adults’ Working Memory
URL:doi.org/10.3390/app11177843

なお、高齢者の能力評価やリハビリに関する研究は他にも以下の記事でも取り上げています。是非チェックしてみてください!

▶︎転倒リスク評価法TUG(タイムアップアンドゴー)テストがAIで進化する
▶︎ロボットによる高齢者の自宅エクササイズ支援。スペインの研究グループが開発
▶︎VRゲームで軽度認知障害(MCI)が改善!認知テストや脳波、身体テストで効果を確認

ARとは

ARという単語は”Augmented Reality”の略で、日本語では拡張現実と呼ばれます。一般にはVR(Virtual Reality:仮想現実)と対をなす言葉であり、両者はしばしば混同されがちですが、それぞれ下記のように異なる体験です。

  • AR:現実世界に仮想的な物体を重ね合わせる(=世界を拡張する)体験
  • VR:仮想的な世界に入り込む体験

韓国の研究グループは、AR技術の特性を活かすことで高齢者の認知機能を改善することを考えました。AR技術の特性とはすなわち、屋内に限らず屋外での身体活動においてもユーザーをサポートできるという点です。詳細は後述します。

TMTとは

研究者らはARゲームを開発する上で、作業記憶テストのTMT(Trail Making Test:トレイルメイキングテスト)から着想を得ました。TMTとは前述のように、作業記憶をテストする方法の一つです。短期記憶と集中力を評価することができる、比較的シンプルかつ信頼性の高い方法だと言われています。
TMTには通常、AタイプとBタイプがあり、それぞれ以下のように行います。
Aタイプ:数字を順番に見つけて繋ぐ(下図の(a))
Bタイプ:数字と文字を順番に見つけて繋ぐ(下図の(b))

もともとTMTはテスト用のツールであり、TMT自体を繰り返すことが認知機能のトレーニングになるわけではありません。しかし、TMTに「身体的なタスク要素」を加えたARゲームであれば、認知機能のトレーニングとしても有効になると研究者らは考えました。認知的なタスクと身体的なタスクは同時に行うことで軽度認知障害の患者の認知機能が改善されることが報告されているためです。また、ゲームであれば集中してタスクに取り組むことも期待できます。

ゲームの概要

上述のように、ゲーム化の目的は集中してタスクに取り組めるようにすることでした。研究者らは伝統的なゲームデザインの手法を取り入れつつ、今回のユーザーが高齢者であることを考慮に入れて「より理解しやすく」「より親切な」設計を行いました。

下図は、システム開発全体の概念図です。「従来のフォーマット」とはTMTの方式を意味しており、専門家の監修の上で高齢者向けのゲームが設計される様子を示しています。

ゲームのロジックは基本的にはTMTの踏襲です。ゲーム内において出現するターゲット(TMTにおいてユーザーが順番を認識して繋ぐ対象物)は「数字」「図形のかたち」「色」がそれぞれ異なる特徴を持っています。ユーザーは自らの位置や身体(デバイス)の向きに応じて出現するターゲットを規則に従って繋いでいきます。ターゲットの個数や種類に応じて難易度が段階的に変化し、ステージ1-1からステージ6-5までの合計30段階のレベル分けが設計されています。合計30日間のプログラムで、ユーザーはさまざまな難易度のステージをプレイします。

このゲームはユーザーが高齢者であることに配慮した設計が行われました。例えばスマートフォンのタッチ操作のみで完結し、表示される文字のサイズが大きく文字数は少ないようになっています。また、ゲームを理解するためのチュートリアルも用意されました。さらに、老眼が予想されるため、必要に応じて文字情報などはズームアップされるようになっています(下図)。

(a)ターゲットがズームアップする前(b)ターゲットがズームアップした後

高齢者はARのゲームをプレイすることに慣れていないと想定され、ゲーム画面ではユーザーガイドが配置されました。ユーザーの位置に基づいてターゲットの位置を知らせるミニマップ(下図(a))、ターゲットが画面の端にあることを知らせるバー(下図(b))によって、ユーザーは直感的にプレイすることができます。

専門家のフィードバックと研究者らの結論

上記のゲームが認知機能トレーニングとして有効かどうかを判断するために、専門家に対してアンケート調査が行われました。専門家の内訳は、神経心理学的評価の経験を持つ専門家5人および高齢者の認知機能評価の経験を持つ専門家1人でした。アンケート項目は、「意欲」「使いやすさ」「学びやすさ」「トレーニング性能」の4項目です。なお「意欲」とは、「高齢者がトレーニングプログラムに参加することにより喜び/楽しみが得られるか」「プログラムに意味があるか」などを意味します。
各項目が100点満点で評価されるアンケート調査の結果は、次のようになりました。

  • 意欲:51.67/100
  • 使いやすさ:46.67/100
  • 学びやすさ:53.00/100
  • トレーニング性能:65.53/100

専門家は、点数による評価の他、次のようなフィードバックも与えました。

  • 認知機能トレーニングのプログラムを実施するには専門家の関与が不可欠である。
  • 高齢者がスマートフォンの使用に慣れていたとしても、機械の使用は煩わしいものであるため、あらかじめプログラムの重要性を説明する必要がある。
  • ゲームの使い方を完全に覚えるまではプレイが難しいので、専門家が積極的に関わる必要がある。
  • ユーザーがゲームの理解を深めるために別のデバイスも必要になるだろう。

これらの結果から研究者らは、今回開発したゲームは認知機能トレーニングの役割を果たす可能性があり、その一方でユーザーが高齢者であることから更に念入りなフォローアップ体制が必要だと認識しています。
今後は、専門家だけでなく高齢者のユーザーを対象とした追加の実験を行っていくとのことです。また、その際にはプラシーボ効果(思い込みによって行動や体調に変化が起こり、実際には効能がないのに効能があるような結果が得られてしまう現象)を回避する工夫を行っていくとのことです。

まとめ

本記事では、高齢者の認知機能と作業記憶との関わりをテーマにしたARゲームの開発事例をご紹介しました。

高齢者の認知機能をトレーニングする作業療法には「認知刺激療法」「回想法」「音楽療法」などがありますが、今後はARゲームを活用した療法も現場に出てくるのではないかと感じるような研究内容でした。
ARは比較的新しい技術分野であるために、高齢者にとっては馴染みがなく、現場で広く活用していくためにはまだまだ検証が必要です。しかし、(ポケモンGOなどで知られているように)ゲームを行いながら身体的な刺激も得られる特性は注目すべき点ですね。

「楽しみながら健康になる」を実現するコンピューターテクノロジーに今後も期待していきましょう!

臼井 貴紀
● 監修者情報
臼井 貴紀 Usui Kiki
Hubbit株式会社 代表取締役社長。藤田医科大学客員教員。早稲田大学卒業後、ヤフー株式会社に新卒入社。営業、マーケティング、開発ディレクション、新規事業開発など幅広く担当。その後、ベンチャー企業に転職しAIを活用したMAツールの立ち上げを行った後、Hubbit株式会社を設立。高齢者施設に3ヶ月住み込んで開発したCarebee(ケアビー)は、日本経済新聞、NHKおはよう日本、ABEMA PRIME等に出演。
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