認知症高齢者の疼痛評価をAI表情分析で行うアプリ「PainChek」

認知症高齢者の疼痛評価をAI表情分析で行うアプリ「PainChek」

最終更新日 2022.11.16
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監修 | 医師 内藤拓人

医師、公衆衛生学修士。重症心身障碍児者領域等を中心に臨床に従事。

昨今は、人生100年時代と言われています。長生きしたいと感じる方にとっては、歳をとると健康が損なわれるリスクが増し、生活の質が下がることがが不安な方も多いことでしょう。
たとえば、65歳を超えると認知症の発症率は2倍になり、85歳以上は最大50%の方々が認知症とも言われています。

認知症になると、言葉を上手く操って自分の状態や気持ちを表現することが難しくなります。
体のどこかに「痛み」を感じたときに伝えられず、治療されないまま放置されることもあります。それは体だけでなく精神にも悪影響を及ぼします。

痛みには色々と種類があるため、どんな種類の痛みなのかを客観的に評価する「疼痛評価(とうつうひょうか)」と呼ばれる技術が求められています。疼痛(とうつう)とは、痛み全般を指す医療用語です。

今回は、認知症の方の疼痛評価を行うAI搭載アプリ「PainChek」について、科学論文を参照しながらご紹介します。

PainChekとは

PainChekとは、上記の通り「痛みを評価する」ツールです。スマートフォン用アプリケーションであり、App StoreやGoogle Playから誰でもインストールすることができます。

コンセプトビジュアル
コンセプトビジュアル(PainChek Ltd のYouTubeより)

PainChekは認知症高齢者だけでなく、知的障害や失語症の患者も対象としています。表情を分析するAIを用いて、カメラに映った相手の痛みを評価します。

開発企業の概要

PainChekを開発しているのはそのアプリ名と同名の企業『PainChek Ltd』。医学博士が社長を務めているヘルスケアテクノロジー企業です。
同社は2012年に設立され、PainChekのプロトタイプを完成したのは2015年です。その後臨床試験を行い、技術の有望さを認められて2017年に上場したとのことです。
最近ではオーストラリア政府より表彰され助成金を受け取るとともに、諸外国でもライセンスが契約されました。

彼らのサービスは疼痛評価ツールのPainChekを基本にしており、すでに6万2千人を超えるライセンスが契約されているそうです。

PainChekを使用して認知症高齢者の疼痛を分析する医師の様子
PainChekを使用して認知症高齢者の疼痛を分析する医師の様子(同社のYouTubeより)

同社は成長を続けており、今後はPainChekが日本でも話題になる可能性があります。

なお、国内企業からは、このように疼痛評価を行うAIツールは2021年8月現在リリースされていません。介護職以外の方にも、新規事業などのヒントになるかもしれません。

(なお、筆者はPainChekをインストールしてみましたが、ライセンス契約をしていないため、機能を試すことはできませんでした。)

スマートフォンで疼痛評価

PainChekの画面イメージ
PainChekの画面イメージ

従来、疼痛の評価は、紙を使って行うきわめてアナログなやり方が採用されてきました。一方、PainChekではシステムのみによって評価が完結します。

大きな特徴の一つは、上記の画面イメージにもある通り「顔の動きを機械的に読み取り、痛みのスコアリングを行う」ことです。スコアはWeb上のデータ管理システムで個人のアカウントに紐づけられて保存されます。

痛みの強さをスコアで表示するアプリ内画面
痛みの強さをスコアで表示するアプリ内画面(論文より抜粋)

ただ、本当にそんなことが可能なのか?という疑問を持つ人のために、同社は論文内で臨床研究の結果を解説しています。

★科学論文の情報

著者:Mustafa Atee, Kreshnik Hoti and Jeffery D. Hughes
タイトル:A Technical Note on the PainChek™ System: A Web Portal and Mobile Medical Device for Assessing Pain in People With Dementia
URL:doi.org/10.3389/fnagi.2018.00117

臨床研究の結果

ケース1

中度から重度の認知症高齢者40人に対して疼痛評価が行われました。
安静時と運動時で計353回の測定が行われた結果、良好な疼痛評価精度を示したとのことです。
ただし一人あたりの評価回数が等しくないことが問題として挙げられたため、次のケース2ではテスト回数を揃える工夫がされています。

参照(論文):doi.org/10.3233/JAD-170375

ケース2

別の疼痛評価ツール(Abbey Pain Scale、APS)と比較した臨床研究が行われました。APSはPainChekよりも以前から主にイギリス利用されている疼痛評価ツールです。

2箇所の介護施設における計34名の重度認知症高齢者が対象でした。安静時と運動時で計400回の疼痛評価が行われ、一人当たり2回の評価が行われました。統計の結果、良好な疼痛評価精度を示したとのことです。また、APSとPainChekの評価結果には相関性が認められたとのことでした。

参照(論文):doi.org/10.1159/000485377

これらの結果から、研究者らはPainChekの臨床での利用が期待できるものであることを結論づけています。

また彼らは、誰でも臨床でPainChekを扱えるように、導入時用の対面トレーニングプログラムと資料を用意しているようです。
従来は専門家によるアナログな方法が疼痛評価の主流であったのに対して、同社はツールを使いこなして誰でも疼痛評価を可能にすることに徹底しています。

PainChekの邁進

彼らがアプリをリリースしたのは2017年ですが、以下のように昨今でも成長を続けています。

Ward Medication Management(MM)とのパートナーシップ(2019年)

オーストラリアの在宅介護における投薬助言サービスを提供しているWard MM社とのパートナーシップが組まれたとのニュースがありました。

アプリの開発企業はアプリストアやSNSなどでのマーケティングを行うだけでなく、すでに力を持つ企業とのパートナーシップを組むのも強力な手段です。
エンタープライズアプリを展開する企業にとって重要な、政治力や交渉力が備わっています。

オーストラリア政府からの500万豪ドルの助成金(2020年)

現在の相場でいうと日本円で約4億円の助成金を受け取ったというニュースがありました。
助成金を出したオーストラリア政府の意図は、国の課題である認知症高齢者のケアを促進するためにデジタルテクノロジーをより活用することのようです。
その証拠に、助成金の条件として10万人の認知症患者および1千人以上の介護従事者に対する1年間のPainChekライセンスを契約しています(冒頭の6万2千人のライセンスは別途の有料ライセンスと思われる)。

助成金を受け取った時点で、サブスクリプション収入は約20万豪ドル(約1,600万円)、ライセンス収入は約175万豪ドル(約1億4千万円)に達しているとの報道もありました。助成金の影響でさらに勢いが増していくことでしょう。

(参照URL:PainChek, winner amongst the ASX’s small cap health and biotech stocks

まとめ

この記事では、オーストラリア発の疼痛評価アプリ「PainChek」について紹介しました。

在宅介護のケースを含む臨床の現場でPainChekのような新しいITツールを導入を検討する場合、このように技術的な話や臨床試験の記録が論文としてまとまっているのは非常にプラスの要素としてカウントされるのではないでしょうか。

業界に新しいツールが生まれ普及していく背景には、開発元の臨床試験を行うノウハウや論文化する根気、他社との提携に乗り出す胆力、さらには政府へのアピールなどの努力があるようですね。

競争する図

このアプリはまだ日本でメジャーではありませんが、「このようなことができるアプリがあるのか」「研究の話を読むと次世代のプロダクトを知れるのか」など思ってもらえれば幸いです。

それでは次の記事でお会いしましょう。

臼井 貴紀
● 監修者情報
臼井 貴紀 Usui Kiki
Hubbit株式会社 代表取締役社長。藤田医科大学客員教員。早稲田大学卒業後、ヤフー株式会社に新卒入社。営業、マーケティング、開発ディレクション、新規事業開発など幅広く担当。その後、ベンチャー企業に転職しAIを活用したMAツールの立ち上げを行った後、Hubbit株式会社を設立。高齢者施設に3ヶ月住み込んで開発したCarebee(ケアビー)は、日本経済新聞、NHKおはよう日本、ABEMA PRIME等に出演。
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