VRへの没入は「意欲を失った高齢者」を救う

VRへの没入は「意欲を失った高齢者」を救う

最終更新日 2022.11.15

人は失ってからその大事さに気づくもの、とよく歌われますが、対象は人や物に限った話ではありません。

意欲を失って辛いとき、意欲があった頃を懐かしんだ経験はありませんか?

そんなとき、ついつい自分を責めてしまうかもしれません。しかし現代においては精神論ではなく、テクノロジーに頼るのも一つの手です。

今日のテーマは「VRと意欲」です。

この記事の要点

  1. 介護施設の入居者は意欲が低下することがある
  2. 施設で13名に対してVR体験を実施
  3. 意欲・気分の面での改善が認められた

★この記事で参照している科学論文の情報

著者:Rachel E. Brimelow, Bronwyn Dawe, and Nadeeka Dissanayaka
タイトル:Preliminary Research: Virtual Reality in Residential Aged Care to Reduce Apathy and Improve Mood
URL:doi.org/10.1089/cyber.2019.0286

アパシー:意欲が低下した状態

諸外国と同様、日本でも、様々な理由で施設での生活を選択される高齢者の方は多くいます。施設入所は、日々の生活習慣や人間関係に重大な変化をもたらす、いわば人生における一大イベントとも言えます。

年齢に関わらず、生活環境の変化というのは大きなストレスになるものです。また、長期に渡って比較的単調で受動的な生活を送ることになれば、アパシー(意欲や自発性が低下した状態)と呼ばれる状態を呈したり、気分的にも沈みがちになったりすることが考えられます。

こうした施設生活において、入所者の意欲や幸福感を保つために必要なものの一つが、余暇活動です。楽しく参加できる余暇活動があれば、入所者は抑うつ的になりにくく、認知機能にも良い影響がある可能性があります。

高齢者の余暇に救いを

余暇活動にバーチャルリアリティ(VR)を活用してみようという研究が近年増えており、一定の成果を収めています。今回は、実際の施設入所者にVR体験をしてもらい、アパシーや気分の改善効果が認められるかどうかを評価した、オーストラリアでの研究をご紹介します。

平均82歳の被験者たち

研究に参加したのは、オーストラリアの高齢者施設入所者13名です。年齢は66~93歳(平均82歳)、女性9名男性4名でした。全員に何らか認知機能低下があり、9名は認知症の診断を受けています。

用いられたのは、スマートフォンを利用した360°の没入型VRシステムです。海中、砂浜、牧場、観光地、雪景色などの、リラックスできるようなシーンが選ばれており、高齢者向けのVR画像として作成されたものです。長さは各4~5分程度、ゆったりとしたBGMとナレーションが付いているそうです。どのシーンに行ってみるかは、各被験者の選択に委ねられます。

VRアプリのメインメニュー画面

実施する際には、いわゆるVR酔いなどの身体不調が生じないか、参加者の体調を慎重にモニターしながら行われました。またそうしたことが起こりにくいように、場面が急に切り替わったりしないような映像が用いられています。万一不調が生じた場合は直ちにVR体験を中止することとされました。

表情が豊かに

さて、このようにして13名の高齢者が実際にVR上での余暇活動を体験しました。そして次のような結果が得られました。

①アパシーや気分への影響(客観的評価)

グラフに示したように、表情が豊かになり、アイコンタクト、身体活動、言語表出などが増加しました。一方で、不安や恐怖などの感情が増すようなことはありませんでした。

VR体験前後でのPEAR(アパシーの指標)スコアの変化。棒グラフが低いほどアパシー症状が軽い。

②体験者の感想(主観的評価)

高齢者に好まれたのは、ヤギやニワトリのいる農場の風景、グレートバリアリーフの海中風景、そして雪とペンギンの風景でした。バリ島などの観光地の風景やカヌーでの川下りはあまり好まれなかったそうです。1名を除いて全員が、再度VRを体験してみたいと述べました。

体験中に、自分の過去の記憶がよみがえった人もいました。また、今後体験してみたい場所として、過去に自分が過ごした場所(故郷など)を挙げた人が多かったそうです。
このニーズは健康にとっても正しく、「VRで懐かしい風景を再現すると認知症に効果がある」という研究結果もあります

③有害事象

目の疲れを訴えた人が2名、ヘッドセットが重くて不快だと感じた人が1名、めまいを訴えてすぐに体験を中止した人が1名、重度の認知症患者で、VR体験中の場面転換(水中のシーンから急に農場のシーンに変わる)に際して不安な様子を見せた人が1名いました。

全体としては、深刻な有害事象は少なかった一方で、多くの高齢者にとって楽しいVR体験になったようです。

「自律性」を取り戻す、手助けに

高齢者施設において余暇活動にVRを活用しようという試みは、本研究以外にもたくさんされ始めています。360°の「没入型」VRを用いてみた、というのがこの研究のオリジナルな要素と言えるかも知れません。被験者のアパシーや気分への改善効果があり、一方で深刻な副作用を認めなかったのは、成果と言えるでしょう。

認知症と診断されている人も含め、様々な認知機能レベルの方が参加したのも、高齢者施設の現状を反映していると言えるでしょう。VRでの「行き先」を自分で選べるというのも、受け身になりがちな施設生活の中で、自分のことは自分で決めるという「自律性」を取り戻す助けになるかも知れません。

一般に、高齢者の場合余暇活動にはどうしても制限が生じがちです。例えば、何か野外活動をしようにも、遠くまでの移動が心身の負担になる、運動機能が衰えていて行えないなどということがあり得ます。その点、没入型のVRは施設にいながらにして、参加者を全く違う環境に「連れて行く」ことができます。

これからの高齢者のケアにおいて、VRは重要なオプションの一つになるかもしれません。

臼井 貴紀
● 監修者情報
臼井 貴紀 Usui Kiki
Hubbit株式会社 代表取締役社長。藤田医科大学客員教員。早稲田大学卒業後、ヤフー株式会社に新卒入社。営業、マーケティング、開発ディレクション、新規事業開発など幅広く担当。その後、ベンチャー企業に転職しAIを活用したMAツールの立ち上げを行った後、Hubbit株式会社を設立。高齢者施設に3ヶ月住み込んで開発したCarebee(ケアビー)は、日本経済新聞、NHKおはよう日本、ABEMA PRIME等に出演。
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